4月10日、私はこの日で渡米から丸39年になりました。
外国人でありながら、いろいろなことを達成できたのは、
それを受け入れサポートしてくれた寛容なアメリカ、
そして、アメリカ人がいたからで、
心からアメリカに感謝したいと思います。
私が日本を後にしたのは1976年4月10日、
そして、ロスに到着したのは同じ1976年4月10日、
そこから私の第2の人生が始まりました。
そのとき私は32歳でした。
アメリカンドリームの本拠地で
アメリカンドリームにチャレンジができる、
これほどワクワクしたことはありませんでした。
裸一貫から身を起こす、それが可能な国、
そう聞き、自分もそれを実現したい、
それを信じて渡米した私は、ものすごく燃えておりました。
昔の写真を見るとキラキラ輝いた目をしております。
当時のアメリカは包容力に富んだ世界一の大国でした。
すべてはおおらか、
今考えたら不可能がすべて可能になった時代でした。
起業資格がないのに起業しても
誰もうるさいことなど言いませんでした。
ソーシャルセキュリティーカード受給資格がないのに
くださいと言ったらすぐくれました。
銀行口座もうるさい審査など受けず
さっさとオープンできました。
私が全米都市の中からロサンゼルスを選んだのは
すこぶる気候が気にいったからです。
温暖で1年中半袖で過ごせ、
私と同じようにアメリカンドリームに燃えた人間があちらこちらにおり、
彼らに大いに刺激されたものです。
考えてみれば、東海岸でチャンスをつかみそこねた人が、
チャンスを求めて西海岸方面に移動した、
そのグループの子孫の集まりですので、
冒険心に満ちた人間の子孫の集まりです。
アジアから新しい人生を求めて集まる人間、
南アメリカからもより豊かな生活を求めるヒスパニックが集団移動、
その中心地がロサンゼルスで、
町には活気が満ちあふれていました。
と言っても、当時はいまだヒスパニック系人間は蔑視されていて、
小切手を換金する銀行口座を持てない人間が大半をしめていました。
隔世の感がします。
アメリカに来て、書物では気づかなかった
多くのことを肌で知ることができました。
やはり来なければわからないことが山ほどあるようです。
当時の印象をまとめてみると、
1. すべてが大きく見えました
道路、車、建物、食べ物、人間、洋服、靴、
その大きさに感心したものです。
レストランで食事を注文したら、
その量の多さにびっくりしました。
2. 町は活気にわいていました
世界中からあらゆる人種が集まっており、
白人、黒人だけではありませんでした。
その人々がチャンスを求めて動いているのですから、
その活気は中途半端ではありませんでした。
3. いろいろな文化が堂々と町に根をおろしていました
よその国だから遠慮して、などといった発想は見かけませんでした。
いろいろな言語のサインがあちらこちらにありました。
後年、それでは消防車やパトカーが助けに行かれないということで、
英語での表記が促進されましたが、
当時は何屋かわからない外国語での表記がかなりありました。
でも、当時はそういう事態に意義を差し挟む者は誰もいませんでした。
すべての外国人がすんなり受け入れられていたのです。
4. 違いが当たり前の社会でした
日本ではよそと同じにし、違うことを敬遠していますが、
アメリカで見た生き方は、まさに違いを認める社会、
個性を活かしていい社会でした。
他人との差をいかに強調するかの姿勢に興味をもちました。
5. 自由競争が旺盛でした
似たビジネスが軒を連ねていて、とても新鮮に感じました。
似た店があるから自分は遠慮して、といった発想などありませでした。
競争が当たり前、
だから余計な資格制度のないことを知り、感心しました。
6. 他人は他人、自分は自分のはっきりした意識が
行動規範になっていました
早い話、自分の権利を他人が侵害しないかぎり、
すべては我関せずの姿勢が日本とはまったく異なって感じました。
おせっかいなど無用の社会、というより、
そういう姿勢がないのです。
7. 現金を持ち歩かない習慣にびっくりしました
会社勤めの人間が、それこそ10ドルの現金も持っていない、
しかもお金はすべてポケットにじかに入れている、
財布社会の日本では考えられないことでした。
8. すべてがおおらか、また、日本的に見ればずぼらでした
規則があってもその規則は担当者の判断でどうにでもなる、
そう感じたものです。
9. 人種差別は感じませんでした
渡米前に、いろいろな書物で人種差別を読みましたが、
実際に来てみると、日常のビジネス展開においては
そういう感じはしませんでした。
当時はヒスパニック系が
肉体労働者としてどんどん駆使されだしたころで、
もぐりの人間も多かったせいか、
彼らに対しては見下した見方をしていることを感じました。
ヒスパニック系労働者の権利を擁護するため活躍していた
シャーベスという指導者に会ったのもこのころです。
10. 緑がくすんだ色にはびっくりしました
日本の緑の感覚で自然を眺めると、
その色はまったくくすんだ緑で、
緑はないという印象でした。
空から見たロサンゼルスは色のない暗い感じの町で、
沙漠地帯で水がない町だからかな、そう感じたものです。
11. ともかく気候は温暖で住みやすい場所でした
1年中半袖で過ごせる快適さ、気楽さは私好みでした。
12. ビジネスチャンスはあちらこちらにあり、避けて通るのに苦労しました
大雑把な考え方のアメリカですので、
スキマビジネスはいくらでも見つけることができました。
私のテーマは、いかにそういうチャンスだらけに目を惑わされず、
余計なものを避けて通り、
これだと思われる一点に的を絞っていくかになりました。
13. ハードワーカーが目立ちました
どんな仕事でも皆一生懸命仕事をしていました。
皆必死でアメリカに生活の基盤をつくるため
がんばっている感じがしました。
いわゆるアメリカ人だったら
そのような仕事などしないという職種がたくさんあり、
それが外国人にアメリカでの突破口を提供していました。
14. ともかく皆好奇心が旺盛でした
どこにチャンスが潜んでいるかわからない、そういう意識と、
自由奔放な生き方が当たり前のアメリカならではの生き方です。
15. 誰とでも気楽に話せる素晴らしさ
日本では見知らぬ人から声をかけられると
怪訝な顔をしたり無視したりする人が多いようですが、
こちらでは誰とでも気楽に話す習慣があり、
おかげで自分の世界が広がりました。
16. 何でもありの社会でした
こうでなければいけない、こうするのがうまくいく方法、
そういうものがないことを理解している人が多いようで、
何でもありのおかげで、思いきったことができました。
以上、1976年に渡米した直後に私が感じたことは、今でも真実で、
アメリカはそのアメリカらしさをいつまでも持ち続けているようです。
ということは、以上のことが苦痛にならないかぎり、というより、
そういうライフスタイルが好きな人にとっては
アメリカこそ、その人の出番にうってつけの場所と言えます。
以上の感触から私が感じたことは、
1. アメリカは個人がのびのび仕事できる場所
2. チャンスはいたるところにある
3. やり方に制限、制約がなく、何でもありの場所だから、
自分の才覚を思いきって発揮できる場所
4. だったら、自分らしさを前面に出してこそ、その素晴らしさを満喫できる
5. 失敗してもいくらでもやり直しができ、失敗を見下す風潮はなく、
再起する人を応援する風潮がある
6. アメリカンドリームに挑戦したいのであれば、もはややるより手がない
ということでした。
ですから何の迷いもなく、すぐに起業を決断し、
4月12日月曜日から行動を開始し、そしてうまくいったのです。
アメリカンドリームに挑戦したいあなた。
それはやるかやらないかだけです。
そのためには、まずは渡米し、
短期間でも実際のアメリカを見物。
そして、帰国し準備を整え、それで再渡米して、
本格的にチャレンジしたらいかがでしょうか。
うまくいくでしょうか?
私にもできそうでしょうか?
私にはわかりません。
でも取り組めば、
必ず自分自身でその答えを出すことができるはずです。
さあ、アメリカに来ませんか。
思いきって自分を試してみませんか。
きっと数年後、
あなたもアメリカに感謝したくなるかもしれませんよ。
(メルマガ『アメリカ発!「スモールビジネス」成功のセオリー』2015年4月20日発行 Vol.772より)